はじめに
ひとことボードでもお知らせしましたが,サークルでもお世話になっていたロッキー堀江さんがご逝去されました。
ロッキーさんに対する感謝の気持ちを込めまして,個人的な思いを書かせていただきました。
独りよがりな部分も多分に含まれますが,ご容赦ください。
さようなら,ロッキーさん。
「ロン,2000点!」
SPロッキーはまるで大会のような大盛況ぶりだった。しかし,普段とは2つ違うことがあった。
1つは,オーナーのロッキー堀江さん(ロッキーさん)がいなかったこと。
あと1つは,打っていた人すべてが喪服を着ていたこと。
……そう。この日は,ロッキーさんの通夜。ロッキーさんと最後のお別れをしてきた人がお店で卓を囲んでいたのだった。
店の卓はほぼフル稼働で,そこには自分を含めて,ロッキーさんを愛する人がたくさんいた。
自分が初めてロッキーさんのもとを訪れたのは,記憶に間違いがなければ2003年。一向聴の門を叩いたのと同じ年だ。当時の一向聴は,入会条件に「次の文献を素直な気持ちで拝読できる人」という項目があり,自分はこの文献を読んだことがきっかけで,ロッキーさんとSPロッキーの存在を知った。この時訪れたSPロッキーが自分のフリーデビュー。とにかく緊張でドキドキしていた。
その日の対局内容の詳細は覚えていないが,局終了ごとに指導を受けたことだけは覚えている。
「そのシャンポンでリーチはもったいないですよ」
「それは鳴かないほうが得ですよ」
……ロッキーさんは麻雀に関しては,誰に対しても優しく,厳しい人だった。たとえ,それが初対面で,今にして思えば麻雀がド下手だった自分でも。SPロッキーにいる時間が,本当に心地よかった。
それからというもの,SPロッキーに通う時間をできるだけつくっては,電車で大宮まで行く日々が続いた。……さすがに大宮は遠く,多くても月2~3回が限度だったが。
ロッキーさんには,前主宰・たっちゃんが一向聴を立ち上げるときにお世話になっている。
そのときの詳しいことはたっちゃんが詳しいが,一向聴が「『競技麻雀』サークル」を名乗ることについて相当な議論があったようだ。
ロッキーさんは,「賭けと麻雀を切り離し,麻雀を競技にすること」に非常にこだわっていた。
おそらくSPロッキーは,ロッキーさんが理想とする麻雀をいつでもだれでも打てる場所として開いた雀荘なのだと思う。
ルールも(完全順位制と偶然性をできるだけ排除したシンプルなルール。一向聴のA-Iルールに近い),そしてシステムも(本当は普通のことなのだが,常に半荘開始前には場決めする。一般のフリー雀荘はほとんどが回り親を採用しており,場決めは卓を立てた時の最初の1回のみで,店を出ない限り上下の関係が変わらないことのほうが多い)。
しかしロッキーさんは,SPロッキーでの麻雀を決して「競技麻雀」とは呼ばなかった。
これだけいろいろ整えても,まだまだ不完全だと思ったのかもしれない。
逆に言えば,「競技麻雀」を名乗ることの重みを感じないといけないのだと思う。
私たちはそれを名乗れるように,常に所作や自分たちの打つ麻雀について,不断の努力で見直していかなければならない。
所作といえば,一度だけ,自分の所作や対局姿勢についてロッキーさんに褒められたことがある。それが自分や一向聴を認めていただいたようで本当にうれしく思ったのを覚えている。
自分たちの方向性が正しかったことを再認識できたことは大きかった。
最後にSPロッキーに行ったのは,昨年のクリスマスイブ。
午前中に行ったのだが,平日ということもあり,客は自分一人だけ。ロッキーさんと奥様の桃子さんを含めても,少なくともあと一人お客様が来ないと,ゲームが始まらない。結局,次のお客様が来たのは一時間以上先だったが,それまでロッキーさんを独占してひたすら麻雀談義という,今にして思えばとんでもなく贅沢な時間を過ごすことができた。
その日の対局結果の詳細は語らないが(笑),局中にも指導を受けたことは覚えている。
「その7筒は止められたんじゃないかな?」
「それはノータイムで切らないとだめですよ,代表!」
……やっぱり,ロッキーさんは麻雀に関しては,誰に対しても優しく,厳しい人だった。たとえ,それが物覚えの悪い,まだまだ麻雀勉強中の自分でも。やっぱり心地よかった。
そんなロッキーさんの指導ももう受けられないのかと思うと,……やっぱり寂しい。
ロッキーさん,自分の所作や対局姿勢を褒めてくださったことは,自分にとって,またサークルにとって誇りです。
その誇りを胸に,これからも,サークルの運営はもちろん,麻雀の勉強も頑張りたいと思っています。
天国から,見守っていただければ幸いです。
今まで,本当にありがとうございました。
せっかくだからボードのコメをこっちに移植。
↓
絶対に保存してあると思い、探した。
そして、見つけた!
『賭けない雀荘を作った男 ロッキー堀江物語』が載ってる、
1998年 12月号 近代麻雀!
このサークルを作るキッカケとなった漫画。
なんだか、「初心に戻りなさい!」と言われてる気がする。
去年の暮れまで、サークルを辞めようなんて考えていた自分が恥ずかしくなった。
ロッキーさんがいなければ、このサークルは出来なかったかも知れないし、
ロッキーさんがいなければ、サークルの皆とも知り合えてなかった。
ロッキーさんと同じと言っては烏滸がましいけど、
俺も、麻雀をきれいにしたくてこのサークルを作ったんだ。
そして、今、それに賛同してくれてる仲間がいる。
ロッキーさんには永遠に追いつけないけど、
少しでも近づけるよう頑張ろう!
ロッキーさんとの出会いは今から19年前になります。当時麻雀を覚えたてだったかみさんにもっと麻雀の楽しさを伝えたいと、たまたま見た近代麻雀内の広告、「賭けないお店」に興味を持って伺ったのが始まりでした。どちらかと言うと自分よりもかみさんが気に入られ、当時良く出入りしていた、ひよこ組に誘われる位でした。夫婦共々大変お世話になり、子供が打てる様になったら連れておいでと言う約束も果たせないままになってしまい非常に残念です!これからもロッキーさんに色々教わったことを胸に、より良い麻雀を打てる様に精進し続けます!
>たっちゃん
ありがとう。本文に移しなおしました。
>かずやん
ロッキーさんの言わんとするところ,すごくよくわかります。
まだまだ教わりたかったなぁと思います。
>nob
その答えは,今後麻雀を打つ中で見つけていこうね。サークルがその役に立つなら何よりです。
ロッキーさんの言葉で今でも印象深い物が一つ。
「正しい手順で麻雀を打つ」です。
勿論そのように打てても勝てるとは限らないが、負けても自分なりに納得がいき気持ちに余裕が生まれるし、逆にそれで結果を残せればそれば一つの麻雀の理想、といった事を仰っていました。今思えば正しい手順とは何か聞いておけばよかったなとつくづく思いますが、当時の私が理解できたとは思えないので、それは自分なりに解答を導き出していきたいです。
その他にも色々とアドバイスやゲーム中の心構えなどを教えて頂きましたが、総じて
麻雀ってこんなに面白いんだぞ!という事を仰りたかったのではないかな・・・と思います。
他にも言いたい事はあるのですが、まとまりそうにないのでここまでとします。
ロッキーさん、短い間でしたが本当にお世話になりました。
今日初めて知りました。
1月12日(月)から臨時休業というブログを見て何があったんだろうと思いましたが、、、
今から20年前くらいかな?初めて行ったロッキーで、店員の梅木さんとロッキーさんと打って、
自分は親なのに、チートイドラドラを面前であがって、6400で申告して、点数の間違いを指摘されて、、、
それ以来、点数は絶対に間違えるものかと思い、勉強した。
お金をかけてないんだから、失うものはないから、適当に打って運がよければ勝てばいいんだ。
そうではなくて、
自分はこういう理由でこの牌を打ったんだ、それを見ている人に納得させて、それでトップを取ってみせる。
それがロッキーさんの言わんとするところなんじゃないかと、
そう思っていた。
麻雀はどうしても、「運」に左右されるところがあるから、
どんなに頑張っても負けるときは負ける。
でもそのときに、
負けてるからやけくそに打つのではなく、
ひとつでも上の順位を目指すにはどうすればいいのか、
トップを引きずりおろすにはどうすればいいのか、
熱くならず、冷静に考えるだけの、「ハート」を持って
麻雀を打たなければ。
最終的に麻雀で勝つには「ハートなんだよ」
ロッキーさんに言われたことは絶対に忘れない。
自分は、当初あまり興味がなかったのですが、雀鬼流は、その点で通じるものがあるんじゃないかなと
思います。
年始に行こうと思えばロッキーに行けたのに、今となっては残念でなりません。
なんだか支離滅裂になってしまいましたが、、、
もっと早く知っていれば、18日のお通夜には行きたかった。
とても残念です。
長くても大丈夫!
是非、本文に直接お願いします。